映画の中で一番好きなシーンを見返していました。
リリコと窪塚洋介演じる御曹司の密会シーン。
結局、交際していたリリコではなく、実家との付き合いがある一家のご令嬢と結婚した窪塚にリリコが問うところ。
なんであの女と結婚したの?と。
「この家の長男として生まれた時から決まってたんだ。
僕は船乗りにもなりたかったし、音楽家にもなりたかった。
昆虫学者にもね。
でもなれなかったんだ。。」
「なればよかったのに。」
「なれなかったんだよ。」
「なれたわ」
「無理だよ。」
「そんなの踏みにじってやればよかったのに。
手を伸ばす前に諦めて、そのうえ未練たっぷりなんて。
人生なんて自分の手で決めるものよ。
そうよ、自分の手で決めるのよ。」
もともと田舎の醜い娘だったリリコ。東京に出てきて、全身整形によって手に入れた美貌によってのし上がり、客観的に見れば輝かしい成功をおさめた彼女だからこそ説得力のある最後の力強い言葉。
この話はフィクションだけれど、私はリリコの言葉に強い共感を覚えました。
自分の生まれながらの環境、能力、
そういった自分の力ではどうしようもできないこと。
これらを踏みにじって、新しい世界を切り開くことはなかなか難しいことかもしれません。
リリコのように、田舎で醜く生まれてきた、
そんな女の子が、誰もが憧れる美女となり、大スターとなる。
そんなことは普通ありえない!と人は思います。
それはなぜ??
醜く生まれてきたから?
整形してきれいになるかもしれない。
でも整形するお金は?
家は貧しい、醜いからお金も稼ぐのが難しい。
そんな風な理由が挙げられるでしょう。
まあ、でもこれは極端な話なので;;
たとえば、
私が去年ニューヨークに留学していたことを初対面の人に話すとこう言われます。
「いいな~うらやましい。
私もニューヨークに留学とかしてみたい。」
「お嬢様はいいなあ。
親がお金出してくれるから。」
とか、
「学生は自由でいいよね~
社会人になったらそんな時間取れないよ。」
とかとか。
でもこれってただの言い訳にしか過ぎないと思うのです。
わたし自身もついつい出来ないことに言い訳を付けて、自分が出来ないということを正当化することがあります。
ただ、ニューヨーク留学だけは絶対に果たしたかった夢。
何が何でも、だれに何を言われようと、絶対に叶えようと思いました。
だから、友達との時間も、寝る時間も削ってアルバイトをして、必要な資金は全部自分で集めたし、
卒業後、もしかしてそのままNYで就職もできるかもしれない。ということで渡米前に卒業単位は全部取りました。
これらは別に私の生まれながらの能力も環境もまったく関係ない。
やろうと思えば誰しもが出来ることだと思います。
じゃあ、なんで、
留学したいけど私は無理だ。
と多くの人が決めつけるのか?
それはその人の意志の強さの問題かもしれないし、一歩を踏み出す勇気がなかったりするのかもしれない。
留学中出会った人で、会社を辞めてニューヨークに来たという方が何人かいました。
彼らはきっと将来にものすごい不安や焦りがある中で、それでも夢を追いかけて、ニューヨークに来ていたんだと思います。
普通なら、この不安や焦りに耐え切れない、もしくは家庭とか会社でのポジションとか、自分の周囲への責任があったり、だから自分の夢をあきらめざるをえないってこともあると思います。
でもせっかく一度きりの人生、
周りがどうこうとかは関係なく、
自分がやりたい!こうなりたい!と心から願えるものがあるなら、
私はその目標に向かって、全力で努力していきたいし、
絶対に無理なものってないと思うのです。
そう、やってみないとわからない。
リリコが言っているように、手を伸ばす前に諦めるのではなく、まずは手を伸ばしてみる。
手の伸ばし方がわからないなら、その方法を考える。
どうやったら届くだろうか?こんな方法もあるかもしれない。
そうやって試行錯誤で、目標に向かって進めば、もし達成できなかったとしても、得られることはたくさんあって、結果的に自分の成長につながっていくものだと
自分のブログに書きながら、自分にも言い聞かせている
そんな私でした。